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たかが100円されど100円(下)(春闘小史・完結編)

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たかが100円されど100円(下)(春闘小史・完結編)

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第20回 労使はこうしてトヨタをつくりあげた

100円玉の「重み」

 昭和50年代から平成初めにかけて、JC春闘は間違いなく日本経済の行方を左右する主役の一人であった。GDPの6割を占める内需を生み出す労働者のその年の収入増を、相場形成役のJCが主導していたからである。

 そのようなダイナミックな役割を背負ったJC各労使であったが、春闘の最終盤では、新聞の第一面に踊る予想数字より100円玉いくつ上を出させるか、あるいは100円でも下回った数字で収めるか、という「100円玉を巡る」攻防に「命懸け」であった。
 そしてそのミクロの交渉結果は、景気動向をも左右した。100円の攻防とは何だったのか。

 一般人の目で見れば、25万円程度の平均賃金を9,500円あげるのか9,400円にとどめるか、その差の100円はどっちでもいいことかもしれない。それより、ボーナスの額が100万円になるか、101万円になるかという1万円を懸けたやり取りの方がわかりやすい。

 組合員も、「賃上げがそんなに厳しいならボーナスで頑張れ」という。しかし、私たちは組合員に対し「今日の1万円より明日の100円」といって、賃上げ交渉への注目と団結を求めた。
 仮に、最終盤に100円アップを押し込めたら、今年18歳で入社した組合員の、退職金も含めた生涯収入は約8万円増えることになる。

 またマクロで考えても、6,000万人の勤労者の月給が100円上がるということは、年間約1,000億円の購買力を増やすということになる。
 一方の経営にとっては、トヨタで言えば、100円アップは固定費である人件費を年間1億円増やし、それを将来まで背負うことになる。

 「たかが100円」と思えるかもしれないが、労使にとってその意味は、「されど100円」なのである。
 そして、もう一つ、トヨタについて言うと、この100円にはトヨタ労使のみが享受することを許された特別な意義があったと私は考えている。

 それは、春闘の終盤で、他の労使に先駆けて、その年々の回答数字を一発で出すという労使に課された重い使命に対する報奨とでも言うべきものであったと思う。

春闘のプライスリーダーとしてのトヨタ労使

 相場の形成役を担うJC8労使は、最終盤、いずれも100円玉を巡る攻防をするわけだが、トヨタはその中において、長くプライスリーダーの役割を与えられ続けた。なぜかというと、日本一の収益を上げるトヨタの決着額が、JCはもちろん日本中の労使にとって、自分達の決着額を評価する納得代になったからだ。もう少し詳しく説明しよう。

 賃上げ水準はマクロ要素からすれば、自ずと決着数字はある幅で絞られるものであるし、それなりに合理的に説明することができる。

 例えばある年の要求が6%(約1万5千円)だったとする。過年度物価上昇が1.5%で、経済成長率が2%、前年の決着額が定昇を含め9,500円だったとすれば、成長率からすると、前年より少し上回る必要がある。そうすると1万円を巡る攻防あたりに納得性が出てくるから労使はそこでせめぎ合う。

 しかし、そのうえで前年プラス300円の9,800円なのか、プラス500円で1万円となるのか。このとき、上げること自体の必要性は経済整合性と支払い能力などで説明がつくが、300円がいいのか、500円がいいのかということになると、納得できる説明は難しい。

 この場合に、収益1番の企業トヨタの妥結額をいくら上回ったとか、下回ったとかが労使にとっての納得代(なっとくしろ)になるのである。

 トヨタの回答がまさに基準価格となるわけだ。だから、トヨタ労使は回答額について、交渉終盤で、他労組からは「もっと頑張れるはずだ」と叱咤され、他企業からは「もっと抑えてもらわないと会社がつぶれる」などと泣きつかれたりする。

 最後の決着数字にも何かと批判が集中する。私の記憶でもマスコミ諸氏に褒められた覚えはあまりない。

 しかし、この役割に伴う反対給付にはトヨタ労使にしか味わえないうまみがあった。それは、最終版トヨタ労使は、最後の100円をどこをも見ず、自分達の納得性のみで決めることができる唯一の労使だったからだ。結果に対する評価がどうあれ、100円玉の光加減を、自分達の力だけで輝かせることができたのである。

トヨタ労使の賃上げ交渉

 トヨタでは、第14回で書いたように、賃上げを決める交渉を「団交」ではなく「労使協議会」で行う(中身は「団交」と変わらない)。この場には労働組合からは、三役、執行委員(約60名)、非専従の職場委員長(約170名)、会社からは社長以下全取締役(当時は約60名)、部門代表の部長(約100名)が参加する。

 春闘にあっては、原則5回の労使協議会が開かれる。もちろん実際の金額水準を丁々発止ここでやり取りするわけではない。水準を詰めるのは、労組の三役と会社の労務担当副社長、取締役、人事部長、課長の10名程度で行われる三役折衝においてである。

 話は逸れるが、この三役折衝には不文律ともいうべき大原則があった。それは、たとえ回答前日の夜であっても、会社は組合に回答する数字を言わないということだ。

 組合もそれでいいと考えてきた。その数字は回答の労使協議会の中で、社長が答えることになっている(もちろんそれでは横の連携上まずいし、回答の場に臨んでいいのか悪いのか、執行委員たちも判断がつかないから、最後の折衝では、労働組合が押し込んでいる数字(歯止め)に対する会社の姿勢は「あうんの呼吸」の中でなんとなく仄めかされるということはある)。

 だから、回答の示される労使協議会では、組合員の関心の高まりは頂点に達し、社会的な注目度も最高潮となる。
 そこで、歯止めに達したか100円下回ったか。そこに理屈では評価しきれない意義が出てくるのである。

 組合員にとって自分達の日頃の努力を会社が報いてくれたか、また、半年以上を懸けた議論に意義があったかどうか、100円から読み取れるからである。
 一方で、マスコミと国民は、100円出たか出なかったかで、その年のトヨタ春闘は、組合が負けたか勝ったか審判を下す。まことに重い100円の評価である。

労使協議会と100円の重み

 そういうトヨタの、プライスリーダーの役割は労使にとって苦しいものではあったが、反面、最後の100円玉を自分達だけで決められることで、それに特別に重い意味を持たせることもできた。それは、交渉の際、5回開かれる労使協議会全部に社長以下役員、委員長以下組合役員が全員出席するトヨタ独特の慣行があることにも由来する。

 トヨタでは5回の労使協議会は、ただ賃上げ額を決めるだけの交渉ではないと労使ともに考えている。第1回では、労使が世界経済、日本経済をどう見ているか、第2回は賃上げ要求が経済、会社経営に及ぼす影響、第3回は、組合員の生活実態が訴えられる。そしてクライマックスは第4回の職場の声を訴える場である。

 執行委員は出身工場や部署における組合員たちの日ごろの頑張り、生活面での工夫、家族の声を切々と訴える。この時、社長以下役員がどんな顔で聞いているか、背後の職場委員長たちは食い入るように見つめ、職場に報告する。中には、感極まって涙で訴える支部長もいた。

 そんなとき、役員ももらい涙を流した。会社側の部長たちも他部署がいかに頑張っているかこの場でしっかり聞き、自職場に持ち帰る。
 トヨタ労使は最後の100円を決める立場であるだけに、それを訴える場としての労使協議会に注がれる高い注目の中で、労使ともにその主張を職場に浸透させることが可能になる。

 労使協議会を重ねるに従い職場も一つになっていく。最後に回答される100円単位の数字がストライクゾーンを捉えていれば、組合は団結力を高めることができ、会社は従業員のモチベーションをあげることができる。これは、決着する数字について、トヨタの数字を基準に説明せざるを得ない他の企業労使には享受できない価値である。

 そういう重い役割が、トヨタの労使関係を鍛えてきたのである。それは、確実にトヨタを強くしてきた。
 まさに「たかが100円、されど100円」だったのである。

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