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グローバルナンバーワンへの道のり

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グローバルナンバーワンへの道のり

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第24回 労使はこうしてトヨタをつくりあげた

販売台数世界一

 2008年、世界経済を震撼させたリーマンショックは、トヨタ自動車にも襲いかかり、2009年3月期の決算では昭和25年の会社存亡の危機以来の営業赤字を記録することとなった。しかしその一方で、世界販売台数では、同じくリーマンショックで大幅に販売台数を減らしたGMを逆転し、トヨタ自動車はグローバルナンバーワンの会社になった。

 さらにその後2013年には、100%子会社のダイハツ、日野を含めたグループ販売台数で、フォルクスワーゲングループと並んで歴史初の1000万台超えを達成した。

 自動車製造販売の歴史で言えば、ドイツからは半世紀、アメリカからは35年遅れてスタートしたトヨタ自動車だったが、世界で通用する自動車の製造販売を夢見て豊田喜一郎がA型乗用車第1号を発売してから73年が経過していた。

 いまでこそ、トヨタと言えば日本発の世界ブランドとして誰もが認める自動車会社であるが、ここまで歴史を振り返ってきた中でも読み取ってもらえるように、世界ナンバーワンの会社になるなどということは、昭和の時代には誰も考えていなかった。

GMの背中は遠かった

 私がトヨタ自動車(工業(株))に入社したのは1975年だった。当時の社長は、15年にわたりトヨタを陣頭指揮し、トヨタを日本一の企業に成長させたトヨタ中興の祖、英二氏であった。トヨタでは入社後秋までの半年間、集合研修に始まり、職場でのインターン、工場での実習(夜勤ももちろん経験する)、販売会社での実習(約3か月間新車販売をする)など、丁寧な研修をしていた。

 その期間中、ある社内団体の主催で、社長の英二氏の講話を聞けるイベントがあり、私も参加した。英二氏の話は、大学を出たての私に大きなカルチャーショックを与えた。

 話の中で英二氏はこう言われたのだ。まず一つは、「企業は何のためにあるかというと、社会のためにある。一部には外国に本社を設けて日本の税金を逃れているような会社もあるが、それはけしからんことで、トヨタは絶対しない。トヨタは沢山儲けて日本に沢山税金を納められる会社でなけりゃいかん」というトヨタ経営の哲学であった。

 もう一つは「トヨタも大分大きい会社になってきたが、アメリカのビッグスリーに比べれば、アリのようなもんだ。いまのGMはトヨタの10倍だ(当時のGMの売り上げは約500億ドル、トヨタは1兆5千億円であったから、当時のレート300円で換算すれば、GMは15兆円で、10倍だった)、いつ踏み潰されるかもしれん。

 しかし、みんなが安くていい車を作り続け、ユーザーに認められれば、きっと生き残ることはできる」という経営方針だった。私は会社経営とはそういうものかと感じ入ったと同時に、税金を納めるのは義務、会社は社会のためにある、という社長の言葉に触れ、トヨタに入社して良かったと思った。

 当時、英二氏の目から見ても、GMは巨人であり、その背中はまだまだ遠かった。英二氏も、いつかは、と心に秘めていたかもしれないが、2013年に百歳で亡くなられる5年前の2008年に販売世界一を達成、それもGMの没落がきっかけであったことを見て、深い感慨に浸られたことと思う。

国際化元年

 トヨタ車は、世界中で愛されるようになってはいたが、グローバル企業として第一歩を踏み出したのは、カリフォルニアで海外初の車のフル生産工場NUMMIを立ち上げた時であったと思う。

 1984年のことであった。サンフランシスコ郊外のフリーモントにあったGMの閉鎖工場を再生してトヨタ生産方式を実践することとなった。私が組合専従した年が立ち上げであったが、私は会社の法務部門で、GMとの合弁契約作成の事務方をしていたから、その交渉経過での様々な課題克服の過程を見ていた。

 その中で、最大の問題だったのは、トヨタ生産方式の成否のカギを握る現場労働者のことだった。NUMMI立ち上げの基本契約は、当時のスミス会長と英二氏の間で短い8項目の合意が確認され、合弁契約もこれに沿って作られたのであるが、その一条項に、フリーモントの元従業員を優先して採用、の項目があった。

 トヨタ生産方式のアメリカでの初の挑戦は、企業に敵対的であるとされたUAW(全米自動車労組)の組合員が担うことになることを、英二氏が容認していたのだ。

 会社は、現場を担う人づくりの第一歩として、まずはトヨタを体で感じてもらおうと、現場の組長(グループリーダー)班長(チームリーダー)クラスの従業員(ほとんどがUAWの組合員だった)数百名を40人前後に分け、約2週間ずつ、日本の高岡工場で研修させた。

 そして、組合には、日本の労使関係はアメリカのそれとは違うということを、きっちり伝えてほしいと頼まれた。労働組合としてもそれは異存ないことであり、研修の最後の2日間を全トヨタ労連の研修センターで受け入れ、トヨタ労使の歴史のプレゼン、グループ討論、最後はお別れパーテイをやった。

 この研修は大成功だったと言ってよい。UAWの組合員は、「トヨタの現場では、ラインにひもが張ってあり、これを引けばいつでもラインを止められる、と聞いていたので、実習中に引いてみたら、本当に止まって、すぐに班長が助けてくれた。

 フリーモントだったら、ラインを止めるような失敗をしたらフォアマンが飛んできて大声で怒鳴られたもんだ。」「トヨタでは、職場の問題点を組合の役員に言うと、すぐその場で解決してくれる。あっちでは、苦情処理という面倒な手続きがあって、10言っても一つ解決するかしないかだった。」というように、トヨタ生産方式に流れる現場管理の理念が、人間尊重の上に成り立っていることを肌で感じてくれていた。

 彼らがアメリカに帰り、NUMMIにおいて、日本から派遣された現場リーダーと力を合わせ、アメリカでのトヨタ生産方式の定着に一役買ってくれたことは言うまでもない。GMがNUMMIでの合弁生産に踏み切った背景には、トヨタ生産方式を学ぶ目的があった。トヨタは「人づくり」という原点から伝えたつもりであったが、その後のGM、UAWを見ていると、果たしてどれだけ学んでもらえたか、心もとない限りである。

グローバル展開を支えたトヨタマン

 私がトヨタ自工に入社したころ、自分が海外駐在することを想定していた人間はほとんどいなかったと思う。というより、英会話や海外生活はしたくないからメーカーに就職したという者が多かったはずである。

 しかし、今やトヨタは、世界30カ国以上で生産活動をし、メーカーからの駐在者も常時2000人は下らない。こういう人たちのモチベーションを支える部分に、実は労働組合も一役買っている。

 トヨタ自工がまだ海外展開を本格化する以前、海外駐在員は、組合員としての権利停止をしていた。組合費は徴収しないし、選挙権もなく、労働組合としての関与は少なかった。しかし、海外展開が進展するのは必至であったから、私たちはこの規約を改訂し、組合費を徴収することにした。

 役員選挙もファックスで参加してもらう。職場委員(海外連絡員という名称にした)も設置する。そして、何より、最低2年に一度は労働組合の役員が1拠点に2~3日程度訪問し、本人はもちろんご家族にも意見を聞き、問題点は会社と交渉し改善する、との反対給付付きである。これはやってみると大変だったが、生の声は続々と届き、駐在員の不満解消とモチベーションの向上に大いに役立ったと思う。

 こういう、海外駐在員訪問を労使帯同でやっている組合があるが、それでは本当の声は聴けないと思う。また、トヨタではもう一つ、現地工場に行き、そこに労働組合があれば、労働組合の役員とも交流してくることにした。

 これは、労組自身の国際化の勉強にもなったが、現地の労使関係の問題点は帰国後会社にも伝えるから、参考になったと思う。労働組合のこうした活動を参考に、会社も海外の労使問題をも職掌に含む部署を立ち上げてくれた。このようなきめ細かい労使の対応がトヨタのグローバル化の基礎を支えてきたことは間違いない。

「グローバルナンバーワン」としての歩み

 トヨタは、会社創業以来、幾度となく危機を乗り越え、21世紀にグローバルナンバーワンとなった。規模は世界的になったが、私が外からトヨタを見るようになった今も、トヨタの経営理念は少しも変化していないと思う。会社風土や行動理念は、全員が、それこそ運動競技でいえば日本記録を目指すくらいの気持ちで、常に実践し続けなければ、あっという間に易きに流れてしまうものである。

 その緊張感をどのようにして維持していくか。特に製造業のような多くの人間が企業活動にかかわる業種では、労働組合の果たす役割は大きいと思う。グローバルな会社になったとしてもそれは変わるものではない。

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