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夜勤廃止への道のり(上)

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夜勤廃止への道のり(上)

加藤裕治先生のプロフィールはこちら

第21回 労使はこうしてトヨタをつくりあげた

経営資源としての時間

 第15回で能率の話をした。トヨタの現場の生産性は、世界のどの自動車会社にも負けないトップ水準を維持してきた。製造現場が一日当たり何人で何台の車を生産できるか、という生産効率は自動車会社にとっての生命線と言っていい。車種によっては一千億円を超える開発費、そして3万点を超す部品の原価、それらに数千の人間が携わる。

 そうしたコストを少しでも下げ、同時にお客様に早く届ける。そのためには一定の時間に一台でも多くの車を作れる会社が、コスト面でも、販売面でも優位に立てる。この生産性を測る重要な尺度が「時間」だ。

 会社経営に投入される資源はたいていのものが変動する。コストや利益を表すお金も、個々の企業の努力を超える「為替」といったようなことで、その価値が変わる。しかし、時間はどの会社にも、何人にも、平等に与えられた、それも過去から未来にわたって変化しない尺度だ。トヨタは、これを経営の最重要な資源としてきた。

 一方で、労働組合にとっても、「時間」は組合員から託された重要な運動テーマだ。何故なら、労働組合とは、労働者が、自分達が「切り売り」している「労働」の「価値」を少しでも会社に高く買わせるために、集団的な交渉力を行使するための組織だからだ。同じ賃金なら少しでも短い労働時間の方が、労働の価値は高まる。

 また、労働組合は組合員の健康や家族と過ごす時間の確保も大事な使命としている。労働者が会社に拘束される時間を少しでも減らすという意味で「時間短縮」は大切な運動目標になる。

「時間は命だ」

 機械は24時間休みなく働いてくれる。しかし、機械には故障がつきものだ。また、機械はプログラムされた製品しか作れないし突発の変化に即応することも苦手だ。

 ところが、人間は様々な変化に柔軟に対応でき、日々改善を重ね生産性を向上させることができる。また、短期間であれば無理も効く。そんな意味で、経営者にとって人間が働く「時間」は、最重要な経営資源といえる。だから働ける時間を少しでも削りたくないと考える。

 おまけに大体において経営者自身は、自分の会社のためなら24時間365日働き続けることもいとわないタイプの人間が多い。特にトヨタは、良い品をより安く、かつ、より多く生産することを社是としていたから、「時間」へのこだわりの強さは並大抵ではなかったのだ。

 昭和40年代から50年代のトヨタ成長期に15年間社長を務め、トヨタ中興の祖といわれた豊田英二氏は、日ごろから、「時間は命だ」と口癖のように言っていたという。

「勤労は美徳」の精神

 労働時間問題は世界の労働運動のいわば原点でもあった。労働運動の発祥の地ともいえるイギリスでは、18世紀に起こった産業革命で紡績工場を中心に「工場労働者」という階層が出現した。児童労働や、女性の過酷な労働、一日15時間を超えるような長時間労働が当たり前のようになされていた。

 これに対して、労働者が立ち上がり、抵抗を重ね、ついには1833年に児童少年の長時間労働を禁じる工場法が成立。そして、1847年には10時間法が成立した。

 1856年には英国連邦の一つであるオーストラリアの建築職人が、8時間協約を締結する。1886年5月1日にはアメリカ、シカゴで現在のメーデーの起源となる8時間労働制要求の統一ストライキが行われた。

 欧米における労働者たちの、それこそ命をかけた労働時間短縮の運動は、やがて第一次世界大戦の終結をもたらしたベルサイユ条約によって発足したILO(世界労働機関)の第1号条約(一日8時間、週48時間労働)として結実する。実に半世紀の戦いであった。

 一方日本ではどうか? 8時間労働制が法制化されたのは、戦後1947年、GHQ主導で進められた労働者保護政策の下で制定された労働基準法の中でであった。欧米から遅れること30年である。
 実はこの歴史の違いにも、日本の労働時間短縮の道のりの険しさが隠されている。今日でもこの「文化」の違いは、悩ましい現実になっている。

 英語では、働くことを「Labor」という。「Labor」という単語は「苦労する」という意味の動詞としても使われる。キリスト教において「労働」は「苦役」であり「罰」と認識されるようだ。だから、それは短ければ短いほど良い、ということになる。

 反対に日本では働くことは、「はた」を「楽」にするであり、「汗をかくことは美徳」とされ、尊ばれる文化がある。この日本的文化は、戦後、奇跡的といわれる経済成長を遂げた日本経済の原動力となった。

 日本の労働者は、働くことを苦役などとは考えない。勤勉であるだけでなく仕事に喜びや生きがいを見出している者が多い。日本では昔から「勤労は美徳」であったし、その労働観は現代でも基本的には変わっていない。

休日増の取り組み

 今日、日本の労働運動にとって、労働時間短縮は、賃金引上げと同様の重みを持つ運動テーマとなっている。ワークライフバランスという言葉も当たり前に聞かれるようになってきた。しかし、労働組合にとって、この労働時間短縮を当たり前のように、運動方針にのせるまでには、大変な苦労があった。トヨタ労組でも例外ではなかった。

 トヨタ労組は、労働時間短縮(後に述べるように当初は「休日増」の取り組みであった)にあたって、「時間は命だ」といって理屈を超えた信念を振りかざす経営者と戦うと同時に、働くことに喜びを感じている組合員に対し「生きがいを奪うわけではない」と説得をする必要もあったからだ。

 トヨタにおいて、労働時間が運動テーマになったのは昭和40年代の半ばで、それは「休日増」という形であった。当時の三役を長く務めた梅村志郎氏は、その交渉の難しさをこんな言葉で語っておられた。

 「組合が休日増を要求すると、社長の豊田英二さんは『時間は命だ、組合はその命を削れというのか』」とまでいうし、組合員は組合員で、『休日を増やしてもパチンコしかやることがない。残業して給料をたくさんもらったほうが、かあちゃんも喜ぶわ』などという始末だし、まあ交渉はやりにくかったなあ」と。

トップの信念で引っ張った運動

 当時の労働組合にとって、休日を増やすこと、とりわけ、週休2日にして週5日労働とすることは、組合員の命と健康を守るため、第一優先順位で取り組まなければならない課題であった。

 なぜかというと、トヨタが当時採用していた昼夜二交替、かつ一週ごとに昼勤務、夜勤務をする交替制において、週6日勤務だと、土曜日の夜勤務を終えて日曜日の朝方帰宅し、夜勤明けの仮眠を挟んで、月曜日からは朝出勤になるから、日曜日はまともな休日にならなかったからである。

 しかし、週5日労働であれば、土曜日を寝て過ごしても日曜日は休日として家族サービスもできることになるからだ。
 週6日稼働で日曜日をフルに活動しようとすると、体に無理を強いることになる。そこで、健康のために日曜日を睡眠や休養にあてれば、家族サービスはおろか、社会参加もできない。昼夜2交替勤務で、休日に体を休め、かつ休日を休日として活用できるようにするためには、週5日稼働2日休みにすることがどうしても必要だった。

 しかし、休日増を要求すると、会社は、「時間は命だ」というし、肝心の組合員も、休日を増やしてもやることがないから働いて稼ぎたいという。そんな中で、週休2日を運動課題とすることは本当に大変だったと梅村氏が述懐していたように、「時短」は実に難しいテーマであった。しかし、それは働く者の命と健康と幸せを守るため、文字通りトップダウンの形で取り組まねばならない課題であった。

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