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労使宣言締結(下)

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労使宣言締結(下)

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第6回 労使はこうしてトヨタをつくりあげた

トヨタ自動車発展の足取り

 前回の上編で、トヨタ労組の発展の足取りというべき歴史を5期に区切って振り返った。
 この時代区分でいうと、労使宣言を締結した昭和37年は「揺籃期」の最後の場面で、たまたま、全国自動車の結成と重なる。組合の足取りを概観するだけでも労使宣言締結の意義は読み取っていただけたと思うが、一方の会社はどんな時期であったか。

 会社の歴史を私ごときが区分して振り返るなど恐れ多い気がしないでもないが、労使関係第2の原点となるということが、どういうことだったのか、理解していただくためにも、敢えて独断で、トヨタ自動車の戦後の歩みを5期に区切ってみた。

 その第1期は、戦後から昭和40年までの約15年であり、生産基盤確立期と呼んでいいだろう。昭和40年という年はトヨタがデミング賞実施賞を受賞した年である。

 この間の重要な経営の決断は、昭和33年に当時の年間売上120億円程度の約5分の1にあたる二十数億円を投じて元町工場の建設をしたことであった。
 この決断がモータリゼーションの勢いにいち早くトヨタが乗る基盤となる。そして、昭和38年にはトヨタ生産方式の柱である「カンバン方式」をスタートさせている。

 第2期は、昭和41年から、昭和56年ころまでの成長期。昭和42年にトヨタ中興の祖と呼ばれる豊田英二氏が社長に就任する。
 昭和48年のオイルショックにより、日本の小型車がアメリカ市場を席巻する。国内ではモータリゼーションが本格開花するなかでトヨタは日本一の地歩を固めることになる。

 第3期は、昭和57年から平成5年あたりまでの飛躍期。昭和57年に自工・自販を合併し、利益7000億円と日本一になる。昭和61年にはアメリカ、カリフォルニアで初の生産工場となるNUMMIを立ち上げ、グローバル企業としての歩みを開始する。

 第4期は、平成5年から15年当たりまでの成熟期、豊田章一郎氏が経団連の会長を務め、奥田碩氏が国の経済財政諮問会議の委員となるなど、トヨタの社会貢献活動が次第に評価されるようになる。

 第5期は、平成15年から今日までの開花期、平成9年に発表したプリウスがエコカーの代名詞となり、トヨタは世界一の販売を達成する。リーマンショックで赤字を記録するが、それを乗り切り、世界一となった。トヨタの動向に日本のみならず、世界が注目するようになった。

会社にとっての労使宣言

 トヨタ発展の礎はトヨタ生産方式の確立にある。会社にとっての第1期は、喜一郎氏が発案したジャストインタイムを大野耐一氏が確立させていく重要な時期だった。カイゼンやカンバン方式を哲学にまで高め、従業員やグループ会社の魂にまで染み込ませるための基盤がこの時代に築かれた。

 大野氏は工場を巡り、問題があると職長に対し床にチョークでマルを書き、「原因が分かるまでそこに立っておれ」など、現在であれば、「パワハラ」で訴えられそうな厳しい指導で、現場を育てようとしていた。

 この時代、日産とトヨタの力は拮抗していたが、在京企業であった日産は、昭和30年に発足した日本生産性本部を拠点に展開され始めた生産性運動にいち早く参加し、労働組合(28年争議で誕生した第2組合)の理解も得て、昭和35年にデミング賞実施賞を獲得する。

 全社参加のQC運動の実践で日産はトヨタの先を越したことになる。しかし、カイゼンとジャストインタイムは、QC運動レベルを遙に超える全社一丸の精神がなければ前進しないものだった。

 なぜなら、在庫を持たないトヨタ生産方式は、一人でも、不良品をそのまま後工程に流すものがいれば崩れかねない精緻なバランスの中でしか実現できないものであったからである。会社としては揺籃期にあった組合に、会社と同じ意識で、トヨタ生産方式の完成に向け主体的に取り組んで欲しかったはずだ。

 もちろん労働組合も、生産性向上の大切さを認識していたし、自動車産業を守るための産業政策へのかかわりを強めていた。しかし、切実な思いは会社側に強かった。

労使宣言で何を誓ったか

 労使宣言では、「貿易自由化を乗り越えるために、社会と大衆に奉仕する使命のもと労使が手を携えていく」という前文(前文はいい文章だが、紙面の関係があるので、トヨタのホームページで参照して欲しい)があり、その次に「宣言」が次のように謳われている。

労使宣言
1 自動車産業の発展を通じて、国民経済の発展に寄与する。
 我が国の基幹産業としての使命・・・特に企業の公共性を自覚し、社会・産業・大衆の為に奉仕するという精神に徹する。
2 労使関係は相互信頼を基盤とする。
 信義と誠実をモットーに・・・相互理解と相互信頼による健全で公正な労使関係を一層高め、相互の権利と義務を尊重し労使間の平和と安定をはかる。
3 生産性の向上を通じ企業の繁栄と、労働条件の維持改善をはかる。
 労使は互いにその立場を理解し、共通の基盤に立ち・・・会社は企業繁栄のみなもとは人にあるという理解の上に立ち、進んで労働条件の維持改善に努める。また組合は生産性向上の必要性の認識に立ち、企業繁栄のため会社諸施策に積極的に協力する。
 以上三つの基調の上に立ち
 (1)品質性能の向上
 (2)原価の低減
 (3)量産体制の確立
をはかる。

 今読めば、企業労使の行動規範として、当然のことが書かれているかもしれないが、私がトヨタならではの思想を感じるのは、「企業の公共性」「社会・産業・大衆に奉仕」「企業繁栄のみなもとは人にある」という部分である。

 これを根底に持っていない限り、トヨタ生産方式は協力会社、従業員を締め付けるだけのものだと理解されかねない。

労働組合のマグナカルタとして

 労使宣言は組合にとって、締結時点よりも、その後、これに署名をした当事者として、会社にその実践を迫る一方、労働組合としてその運動理念の中心に据えるべく、まるで呪文のように繰り返し、執行委員や職場役員達に刷り込むことで、始めは原石だった玉は、光り輝く宝石のごとく、価値のあるものとなっていった。

 その一番の要諦は、「労使相互信頼の実践は、会社は『進んで』労働条件の維持改善に努める、そして組合も『生産性の向上』の必要性を『自ら認識』して」、というところにある。私は先輩から、この部分の意義についてこう繰り返し言われた。

 「相互信頼がなぜ労使協調と違うかというと、会社のやろうとすることに組合が合わせていくということでなく、組合(組合員)の立場で、この施策が生産性向上を通し会社のためになり、それが、自分たちのためにもなるかどうか、徹底的に考え、そうだと思ったら、主体的に行動する、提言もする。

 これではダメだと思ったら反対してたちはだかるということだ。そして、会社にも、そのくらい組合のことを思って提案して来なければ、何一つ通らないぞと思わせることだ。」「どんな小さな話し合いもこの精神をもって、安易な妥協はするな。」と。

 歴代社長は、折に触れこの宣言が労使の原点だということを口にしてきた。それは、労働組合が、そのくらい命がけでこの理念の実践に取り組んでいることを信頼しているからだ。

 それがなければ、会社繁栄と組合員の生活向上が「車の両輪」の如く、バランス良く回るようにはならなかっただろう。

 今日、トヨタの労使関係が一定の評価をされるようになっていると思うが、トヨタ労使は、それにあぐらをかくのではなく、常に、この第2の原点に立ち返って、その精神が上滑りに流れていないかを自問自答しながら、その後も切磋琢磨してきたのである。

 *歴史的イベントの振り返りは今回で最後とし、次回からは労使関係のあり方そのものに対するトヨタウエイというような考え方を順次解説していきます。

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