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「身の丈を越えた人材を採用する」2代目社長の英断でリーマンショックから立ち直ったー1ー

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「身の丈を越えた人材を採用する」2代目社長の英断でリーマンショックから立ち直ったー1ー

 人と組織が自然とイキイキしてくる独自の取り組みや人事施策について紹介する本連載は、今回から、シリーズ第4社目となる株式会社日本パープルについてお伝えしていきます。
 今回は、「保護くん」をはじめ文書や物品の保管・電子化サービスに強みを持つ株式会社日本パープルの林社長に直接語っていただいた内容をもとに、同社の歴史や代表就任後の出来事などをお伝えしていきます。売上30%ダウンという危機を乗り越え、組織を成長させるために行った林社長の思い切った決断をぜひご確認ください。(編集部)

株式会社日本パープルの工夫(1)

機密処理サービスで5000社の取引実績

 株式会社日本パープルの主力事業である「保護くん(まもるくん)」が、オフィスに設置されているのを目にした方も多いことでしょう。機密書類の安全な廃棄を担う回収ボックスです。

 同社は「MAMORU」というコーポレートブランドのもと、「保護くん(まもるくん)」をはじめ文書・物品の保管サービスや、文書の電子化サービスなどを通じて、顧客企業の「大切なもの」を守り続けています。取引実績は現在5000社、1万2000事業所にも上ります。

 創業は1972年。先代は、使用済みコンピュータやプリンタ用紙の回収業として会社を設立しました。「トラック一台でやれる仕事は何かを考えた結果だと先代の父からは聞いています」と、2代目の林壮之介社長。

 しかしある時舞い込んだ依頼が、会社の方向性を大きく変えることになります。それは、当時のコンピュータに使用されていた「パンチカード」の処理。カードに穴をあけることで記録メディアとして使用されていたパンチカード、そのまま廃棄すれば情報漏洩の恐れがあります。

 まだ「セキュリティ」という概念はなかった時代のことですが、だからこそ競合がおらず、市場を独占できると先代は読んだのでしょう。日本パープルは、これを機に情報セキュリティ企業へと舵を切ることになったのです。

 先代の読みは見事に的中しました。時代とともに企業のセキュリティ意識が高まっていくにつれ、日本パープルの事業も拡大。前述の「保護くん(まもるくん)」をリリースしたのは1995年のことです。それまでは「ダンボールに詰められた文書を回収する」というスキームでしたが、搬送時に機密が漏洩するリスクが残ります。

 そこで「ボックスをオフィスに設置し、ボックスごと文書を回収する」という、よりリスクの少ないかたちへとシフトしたのです。

 「ボックスごと回収するというサービスは、当時も今も、ほぼ当社だけ。というのも、搬送効率がよくないんですよ。他社だと『ボックス本体はオフィスに据え置き、書類の入ったダンボールのみを回収する』というケースが多いのです。しかし我々は何と言っても『大切なものを守る会社』ですから、セキュリティ重視です。『重要な情報を扱う以上は、万全を期してほしい』というお考えのお客様に選んでいただいています」

28歳の若社長をリーマンショックが襲った

 林社長は2007年に就任しています。それ以前のことを尋ねると「むちゃくちゃな経歴(笑)」とのこと。測量士、カメラマン、ライター。ドラマーとして音楽活動をしていたこともあります。先代からも「自分の道を歩め」と言い聞かされていたそうで、会社を継ぐつもりは全くありませんでした。

 ところが2005年、林社長が26歳の時、先代から急きょ声がかかり日本パープルに入社することに。林社長にとっては晴天の霹靂です。何しろ、情報セキュリティ会社どころか、法人で働くことすら初めてだったのですから。

 しかし「かえってそれが、よい方向に働いた」といいます。「格好つけずに、わからないことは社員に聞いて回りました。ここでは申し上げられないような経歴もオープンにして(笑)、『いい加減な人間ですが、よろしくお願いします』と頭を下げたことを覚えています」

 1年目は現場をまわり、2年目専務に。3年目にはもう社長就任という、慌ただしい事業承継です。「さすがに早すぎる」と、一度は社長就任を辞退したとか。

 「『すみません、お断りします』と話したら、『バカヤロウ、お前に選択肢はないんだ』と父に叱られました(笑)。それが2007年の1月。それから事業承継の準備を進めて、期が改まる5月に社長に就任しました。それで安心したのか、父はそれから1ヶ月半後に亡くなったんです。今思えば、自分の死期というのを悟っていて、事業承継を急いだのかもしれませんね」

 28歳の若社長が誕生したそのとき、日本パープルはどのような状況にあったのでしょう。幸いにも、業績は順調そのもの。先代からは「うちのビジネスには浮き沈みがない」と聞かされていたそうですが、過去までの実績を見る限りは、「確かにその通り」だったのです。

 しかし林社長には以前から危惧していることがありました。それは、書類が電子化される潮流のなか、紙をメイン商材とするビジネスは続かないだろう、ということ。それでも足元の数字が伸びている限りは、大きな変革には踏み切れないものです。いずれは新規事業、しかしまずは社員の意識改革から着手しようか。そんなことを画策しているなか、あのリーマンショックが起きました。

 しばらくは影響を感じずに済んだといいますが、リーマンショックから1年が経とうとする頃に、顧客からの値下げの相談や解約が立て続けに起きました。あの頃の日本企業は、事業の再建、コスト削減が最優先。セキュリティまで手が回らないのも、無理もないことです。しかし、日本パープルにとっては、創業以来の大波です。それから4年ほどかけて、ピーク時と比べて売上を3割ほど落としました。

 成長し続けると信じて疑わなかった事業が、突然、右肩下がりに。若くして会社の舵取りを任された林社長には、ショッキングな出来事でした。「会社自体が緩んでいたわけではありませんから、どこから手をつけていいかわかりませんでした。今思えばパニック状態でしたね」と林社長は述懐します。

 「「保護くん(まもるくん)」のボックスが稼働せず、在庫が1000台も溜まっていくんです。そのままでは全くマネタイズできませんから、仕方なく低価格路線にシフトしたのが2013年ごろです。それを境に「保護くん(まもるくん)」の稼働率は改善していきましたが、当然ながら、オペレーションの人員も増やさないといけない。売り上げは改善しても、利益率は下がっていく。これはいよいよまずい、と思いました」

 会社のトップとして組織を引っ張っていかなければならない。しかし経験が浅いこともあり、「私自身は優秀な人間ではない」という忸怩たる思いがあった林社長。そこで下した決断は、思い切ったものでした。「身の丈を越えた人材を探そう」。

 「今もそうなのですが、私自身が急成長することはないと思っているんです。私には私のやるべきことがある。例えば、私はグランドデザインやビジネスモデルを考えることが好きなんです。その次のステップに『自分よりはるかに優秀な人材を見つけて、任せる』という仕事がある。私以上に売り上げを作ることや人を育てることが得意な人材を見つけて、その人に頭を下げて、会社に来てもらおうと」。

果たして、日本パープルの改革がそこから急加速することになったのです。

(次回へ続く)

株式会社日本パープル様のホームページはこちら

 


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