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顧客満足は社員満足から。100年続くと確信できる会社を目指しー1ー

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顧客満足は社員満足から。100年続くと確信できる会社を目指しー1ー

 今週より、数多くの企業、経営者、働く人を取材してきたライター・編集者の東雄介氏が、株式会社アオバヤへの直接取材を通じて得た情報をもとに、人と組織が自然とイキイキしてくる独自の取り組みや人事施策について紹介します。今回は、「3年間収入がなくても、社員を守り続ける会社にする」をミッションに掲げる同社のこれまでの歴史を振り返りながら、高橋亙社長が大切にしている思いに迫ります。(編集部)

株式会社アオバヤの工夫(1)

「いったいなんの会社?」

 ダスキン事業、ポスティング事業、葬祭事業に、介護予防フィットネス事業。東北エリアを中心に事業の多角化を進め、ときおり「いったい何の会社なの?」と不思議がられながらも、61年にわたり安定成長を続ける優良企業があります。株式会社アオバヤです。

 企業経営において永続こそ最大の目的である。そう考える高橋亙社長は、記念すべき創業60周年を迎えた昨年、社員に向けてこんな約束をしました。
「3年間収入がなくても、社員を守り続ける会社にする」

 それを達成するのがどれだけ大変なことか、中小企業経営者であれば、想像するに難くないはず。それをアオバヤは、HPでもこれをミッションとして高らかに謳いあげているのです。同社の高橋社長はさらりと言います。

 「お客様満足は社員満足あってこそ。先代に教わるまでもなく、私はずっとそう考えてきましたから。社員を大切にする姿勢は、先代から変わらないDNA。このミッションも、それを明文化しただけなんです」

 業績本位ではなく「社員のため」を重んじる経営が61年間の安定成長をもたらしたのだとしたら、そこにはどのような歴史があるのでしょう? 高橋社長は「事業の多角化」が成長の原動力の1つだといいます。ならば、まずは創業以来のアオバヤを追いかけてみることにしましょう。

事業の多角化は企業を永続させる手段

 昭和31年、アオバヤを創業したのは、高橋社長の父であり、現会長の高橋努さん。91歳の今なお現役です。創業当時は月賦販売の事業者でしたが、その頃にはもう勢いのあるビジネスとはいえず、先代は次の事業を模索していました。

 そんな折、雑誌『商業界』が主催するゼミナールに参加した会長が出会ったのが、ゼミのエルダーとしてお世話役をしていた鈴木清一さん。ダスキンの創業者です。

 「父は、本当は別のかたの話を聞くつもりだったらしいのですが(笑)、たまたま遅れて会場にやってきた鈴木さんとお話を聞くことに。そこで見込まれたのか、ダスキン事業の説明を受けてきたんです」

 これを縁に、ダスキンのフランチャイズ加盟店としてダスキンレンタル事業を始めたのが、昭和40年のことです。それからわずか2年のうちに、郡山店、仙台店、宇都宮店、山形店、盛岡店と、5店舗まで拡大し、アオバヤは「倍々ゲーム」の急成長を遂げることになるのです。

 しかし先代は「ダスキンのアオバヤ」に安住することをよしとはしませんでした。今勢いのあるダスキンもいつか低迷する時期が来るかもしれない。それでは企業の永続も、社員満足も叶わない。そんな危機感のもと、先代は事業の多角化を進めたのです。

 昭和50年代には、香港からシルクフラワーを輸入し店舗にレンタルする事業(シルクフラワー事業)、また学習教材ポピーを販売する事業(全家研ポピー事業)、葬祭事業などを、矢継ぎ早にスタートさせています。

 とはいえ、どの事業もダスキン事業と共通するところは少ないようです。なぜ、こうした事業に着手することになったのでしょう。高橋社長にそう尋ねると、いずれも「きっかけは人のご縁なんです」。

 「例えば葬祭事業は、会社が使っていたパソコンがご縁です。知り合いになったソフト開発者の長谷川さんという方が、千葉で三和仏商という会社を立派に経営されていました。

 アオバヤはその頃創業25年以上がたっており、先代以下、古くからの社員たちも歳を重ねていました。葬祭事業なら年をとってもできると先代は踏んだようで、三和仏商さんに事業の仕方を教えてもらったんです」

 これには笑い話もあります。今でこそ葬祭事業は、自社で葬祭会館を構える形をとっていますが、当時は、個人宅やお寺などに祭壇を設置してお葬式を行う訪問サービスの形が基本。

 「先代の思いは、社員たちが長く働けるように、というところにあったんですが、実際は、非常に重い物をトラックで運んで、会場の設営をして、撤去してという繰り返しの仕事。本当は葬祭事業こそ、若い人でないとできない仕事だったんです(笑)」

 

右肩上がりの成長の一方で組織づくりが疎かに

 創業者が会長職に退き、現社長が就任したのは平成8年のことです。事業の多角化はまだ止まりません。シルクフラワー事業と全家研ポピー事業からは撤退しつつ、新たに参入したのがアドポス事業や、訪問介護を行うダスキンホームインステッド事業です。

 アドポス事業とは、東北エリアを中心とした、チラシのポスティング代行サービスのこと。これもきっかけは人のご縁でした。

 「札幌にナラサキビーズという面白い会社があると聞いて、すぐに尋ねていきました。ちょうどその時、その会社も参画してポスティングの全国組織を作ろうとしていたんです」

 ポスティング事業も、一見すると他の事業との繋がりは見当たりません。しかし高橋社長には勝算がありました。というのも、ダスキン事業は、業務委託契約の主婦の皆さんを組織化して、営業も販売も交換もお任せするという体制を取っていました。

 こうしたダスキン事業の組織の形と、ポスティングを運営する組織の形が、よく似ていたのです。
「つまり、業種のシナジーではなくて、運営形態のシナジー効果が望めるのではないかと」

 現在、アオバヤにおいて収益の柱となっているのは、ダスキン事業。いっぽう、今後の成長を見込んでいるのはアドポス事業だということです。しかし創業61年の歴史は「すべての事業が支え合ったからこそ作られたもの」だと、高橋社長は考えています。

 「ダスキン事業単体だけを見れば、調子の良い時代、悪い時代があります。でもそんな時に、葬祭事業が育ったり、アドポス事業が誕生したりと、時折、事業の主役が交代するんですね。右肩あがりの成長を続けられたのは、景気変動に耐えられる、こうした体制のおかげだと思っています」

 もっとも、全てが順風満帆に進んだわけでは、決してありません。事業が成長するかたわらで、見過ごされていたことがあります。組織づくりです。

 平成8年に高橋社長が就任する直前までのアオバヤには、じつは制度らしい制度がほとんど見当たりませんでした。パートを含め従業員200名を抱える規模の組織に育っていながら、昇給や賞与にしても先代の裁量1つで行われていたというのです。

 従業員の働きぶりを評価するにしても明確な基準がなくては大きな評価の差をつけられず、「頑張っても頑張らなくても一緒」という空気が醸成されていました。そのほか、経営理念も、就業規則もなし。

 「お願いしたコンサルタントの先生に、『ここに書いたものを揃えてください』と紙を渡されたんですが、何もないな、と思ったことを覚えています。成長性が高い故に、稼ぐことばかりが優先されて組織づくりが後回しになった、ということだと思います。業績が悪いときのために備えるという発想がなかったんですね」

 当時、高橋社長は33歳。2代目に就任した若社長の仕事は、こうして組織づくりからスタートすることになったのです。

(次回へ続く) 

株式会社アオバヤ様のホームページはこちら

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