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創業当時から「24時間365日対応」お客様第一を貫き、下請け体質から脱却ー1ー

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創業当時から「24時間365日対応」お客様第一を貫き、下請け体質から脱却ー1ー

 人と組織が自然とイキイキしてくる独自の取り組みや人事施策について紹介する本連載は、今回から、シリーズ第2社目となるフィデス株式会社についてお伝えしていきます。同社に根付いているお客様第一主義の考えを体現したエピソードや、同社がたどった脱下請けの経緯をご覧ください。(編集部)

フィデス株式会社の工夫(1)

戦後の焼け野原に明かりを灯した創業者

 下請けからの脱却、という中小企業にとっての悲願を、20年がかりで果たした企業があります。
 千葉県に本社を置く、フィデス株式会社。電気工事や空調工事、計装工事、省エネルギー・新エネルギー提案、防犯・セキュリティ工事など、あらゆる設備工事をワンストップで引き受けています。

 この人手不足の時代にあって毎年5名前後の新入社員を採用できているというのですから、驚異的な優良企業です。「学校とのパイプが太くて、先生がたが『フィデスはいい会社だから」と学生を送り込んでくださるんです」と嬉しそうに語るのは、3代目にあたる細矢社長。「新入社員に入社動機を聞くと、休みが多い、海外研修にいけるといった声が多い。少し甘やかしすぎかな?と思うこともあるのですが(笑)、しかし必要なことですからね」

 フィデスの物語は、1946年に始まります。終戦の翌年、創業者は経済が混乱するなか、事業を興しました。東京電力の認定工事店として、無灯火地区への電気供給を担ったのです。

 「電気が通じると、お客様が涙を流したり、電球の光を拝んだり、万歳するぐらい喜んでくださった、という話をよく聞かされたものです」と細矢社長。「そのころから当社はお客様第一主義。技術力で価値を提供していくことが、我が社の使命であり、強みだと思っています」

 日本の戦後復興と歩調を合わせるように、会社はあっという間に拡大していきました。昭和26年には、町の電気屋さんから、電気工事会社へと脱皮を果たします。ですが、お客様第一の精神は少しも変わらないまま。停電が起きれば、創業者はどんな夜遅くでも駆けつけました。

 「台風ともなれば、当時の脆弱な電気設備など、ひとたまりもありません。風と雨の中工事をして、翌朝、泥だらけになって帰ってくると、朝から酒を飲んで、おにぎりを食べる。その日はきっと仕事にならなかったでしょうね(笑)。でもそうやって、お客様のお困りごとにはいつでも駆けつけるのが、城南電設(現フィデス株式会社)にとっては当たり前のことだったんです」

 こうしたお客様第一主義を「24時間365日緊急対応」という言葉によって明確に掲げたのが、2代目である並木現会長です。急な停電や設備トラブルがあれば、夜間・休日問わずにいつでも対応。

 並木会長は当時、会社の名刺に自分の携帯番号を記し、毎晩枕元に電話を置いて眠ったといいます。24時間365日対応なんてできるわけがない。最初はそういって反発していた社員もいましたが、トップ自ら実践する姿を見せているうち、いつしか会社に定着していきました。

 「仕組みらしい仕組みはないんです。あるのは精神論だけ。大晦日や元旦に社長の私の携帯電話にかかってくることもあります。でもこれが我が社の当たり前。みなさんが心配されるほど、夜中に呼び出されることはないんですよ。

 ただし、お客様が本当に困った時はなんとしても駆けつける。うちは電気屋なのに『他に相談できる相手がいないから』と頼まれて夜中にクレーン車を直しに行ったこともあります。こういうことがあるたび、信頼していただけるようになる」

「おい電気屋!」からの脱却、元請け企業へシフト

 そんなフィデスの経営改革は、バブル崩壊後の90年代に始まりました。景気の波を真正面から受けてしまうのは、建設業界の常。より強い会社へシフトするため、先代は早くから事業構造の見直しを検討していました。当時の問題意識がよくわかる文章を、会長が社内報に寄せています。

 「電気工事業は、経済産業省と国土交通省の両者が監督官庁という特異な業界である。なおかつ、建設業界では重層構造の真ん中に位置し、公共工事以外は建築業者の下請け発注となる。したがって、直接販売することは極めて稀で、お客様との接触も限られている。工程も自分では決められず、もちろん、価格は叩かれ放題。これが世の中の下請け業者の構造的な悲哀なのだ」

 現場監督としてのキャリアが長かった細矢社長も、下請け業の厳しさは痛感していました。転機は2000年ごろ訪れました。「朝から晩まで、おい電気屋!と怒鳴られてコキ使われるわけです」。それでも利益も上がらず労働時間は長くなるばかり。

 「当時、サブコンやゼネコンからの下請け仕事よりも、直受の仕事のほうがずっと利益率がいい。これでは、直受の仕事で得た利益を下請け仕事に回しているようなもので、これは直受のお客さんに失礼だと、これっておかしいじゃないですか。」

 当時、社長にそう進言することもあったそうです。
 そんな話をしているなか脱ゼネコン、という言葉が出てきました。

 ゼネコンに変わる新たなターゲットは製造業でした。「当時はマンションブームで、マンションの電気工事も手がけていましたけど、これは元請けには絶対なれません。でも製造業の生産ラインが増えれば変電所の設備も増えていく。これなら元請けになれる可能性が高いと踏んだわけです」。

 そこで始めたのが、名付けて「百軒覗き営業作戦」。経営幹部と営業部員が、ひたすら製造業の新規開拓に回ったのです。あてなどありません。1件1件、しらみつぶしのローラー作戦です。これが功を奏しました。
 なにしろ、徹底したお客様第一主義の会社です。電気設備工事の受注が無理でも、お客様のお役に立てるならと、秋葉原までパソコンを買いにいったり、何度も見積りを出したりと奔走しているうちに、少しずつ、小さな修理工事の仕事をもらえるようになっていったのです。

 「電気以外のこともできるでしょ、という形で空調設備の工事なども頼まれるようになったのもこの頃から。ノーといわず何でも引き受けているうちに、あらゆる設備工事のワンストップサービス、という現在のフィデスの形が出来上がっていきました」

 細矢社長が就任した2011年以降、脱下請けは決定的なものになりました。
 もっとも、そこには予期せぬ外部要因も絡んでいます。順調に売り上げを高めていき、30億円も目前かと思われていた2008年、リーマンショックに見舞われました。売り上げは大幅減。そして2011年の東日本大震災により、いよいよゼネコンからの下請け仕事が壊滅したのです。

 「それまでは、直受比率を高めていくといっても、売り上げの半分ぐらいでしょうか。依頼があれば下請け仕事もやっていました。1社からの仕事だけで年間7億円受注したこともあります。その下請け仕事が、リーマンショック、震災を経て、ゼロになってしまったわけです」

 こうして直受比率が一気に上昇、いまでは直受比率は90%に達しています。公共工事が増えたことも、直受比率を高めた要因の1つだといいます。
 かつて、公共工事は談合の世界。しかしコンプライアンス重視の時代に変わり、技術力や経営力に優れている会社であれば落札できるようになっているのです。90年代からコツコツ経営強化に努めてきたフィデスには、大きなアドバンテージがありました。

 直受仕事が増えたことは、社員が働くモチベーションをも大きく変えました。「下請け仕事は、最終的にその建物や設備を使う人と接する機会が少なく、褒められることもありません。でも直受仕事には、それがある。お客さんに褒められて、自分は役に立っていると、実感できる仕事が増えているんです」と社員も変わってきています。

(次回へ続く)

フィデス株式会社様のホームページはこちら


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