組織編制③(8)「人材マネジメント方程式」
第15回で能率の話をした。トヨタの現場の生産性は、世界のどの自動車会社にも負けないトップ水準を維持してきた。製造現場が一日当たり何人で何台の車を生産できるか、という生産効率は自動車会社にとっての生命線と言っていい。車種によっては一千億を超える開発費、そして3万点を超す部品の原価、それらに数千の人間が携わる。
そうしたコストを少しでも下げ、同時にお客様に早く届ける。そのためには一定の時間に一台でも多くの車を作れる会社が、コスト面でも、販売面でも優位に立てる。この生産性を測る重要な尺度が「時間」だ。
会社経営に投入される資源はたいていのものが変動する。コストや利益を表すお金も、個々の企業の努力を超える「為替」といったようなことで、その価値が変わる。しかし、時間はどの会社にも、何人にも、平等に与えられた、それも過去から未来にわたって変化しない尺度だ。トヨタは、これを経営の最重要な資源としてきた。
一方で、労働組合にとっても、「時間」は組合員から託された重要な運動テーマだ。何故なら、労働組合とは、労働者が、自分達が「切り売り」している「労働」の「価値」を少しでも会社に高く買わせるために、集団的な交渉力を行使するための組織だからだ。同じ賃金なら少しでも短い労働時間の方が、労働の価値は高まる。
また、労働組合は組合員の健康や家族と過ごす時間の確保も大事な使命としている。労働者が会社に拘束される時間を少しでも減らすという意味で「時間短縮」は大切な運動目標になる。

相場の形成役をになうJC8労使は、最終盤、いずれも100円玉を巡る攻防をするわけだが、トヨタはその中において、長くプライスリーダーの役割を与えられ続けた。なぜかというと、日本一の収益を上げるトヨタの決着額が、JCはもちろん日本中の労使にとって、自分達の決着額を評価する納得代になったからだ。もう少し詳しく説明しよう。
賃上げ水準はマクロ要素からすれば、自ずと決着数字はある幅で絞られるものであるし、それなりに合理的に説明することができる。例えばある年の要求が6%(約1万5千円)だったとする。過年度物価上昇が1.5%で、経済成長率が2%、前年の決着額が定昇を含め9,500円だったとすれば、成長率からすると、前年より少し上回る必要がある。そうすると1万円を巡る攻防あたりに納得性が出てくるから労使はそこでせめぎ合う。しかし、そのうえで前年プラス300円の9,800円なのか、プラス500円で、1万円となるのか。このとき、上げること自体の必要性は経済整合性と支払い能力などで説明がつくが、300円がいいのか、500円がいいのかということになると、納得できる説明は難しい。
この場合に、収益1番の企業トヨタの妥結額をいくら上回ったとか、下回ったとかが労使にとっての納得代(なっとくしろ)になるのである。トヨタの回答がまさに基準価格となるわけだ。だから、トヨタ労使は、回答額について、交渉終盤で、多労組からは「もっと頑張れるはずだ」と叱咤され、他企業からは「もっと抑えてもらわないと会社がつぶれる」などと泣きつかれたりする。最後の決着数字にも何かと批判が集中する。私の記憶でもマスコミ諸氏に褒められた覚えはあまりない。
しかし、この役割に伴う反対給付にはトヨタ労使にしか味わえないうまみがあった。それは、最終版トヨタ労使は、最後の100円を、どこをも見ず、自分達の納得性のみで決めることができる唯一の労使だったからだ。結果に対する評価がどうあれ、100円玉の光加減を、自分達の力だけで輝かせることができたのである。
労働時間問題は世界の労働運動のいわば原点でもあった。労働運動の発祥の地ともいえるイギリスでは、18世紀に起こった産業革命で紡績工場を中心に「工場労働者」という階層が出現した。児童労働や、女性の過酷な労働、一日15時間を超えるような長時間労働が当たり前のようになされていた。
これに対して、労働者が立ち上がり、抵抗を重ね、ついには1833年に児童少年の長時間労働を禁じる工場法が成立。そして、1847年には10時間法が成立した。
1856年には英国連邦の一つであるオーストラリアの建築職人が、8時間協約を締結する。1886年5月1日にはアメリカ、シカゴで現在のメーデーの起源となる8時間労働制要求の統一ストライキが行われた。
欧米における労働者たちの、それこそ命をかけた労働時間短縮の運動は、やがて第一次世界大戦の終結をもたらしたベルサイユ条約によって発足したILO(世界労働機関)の第1号条約(一日8時間、週48時間労働)として結実する。実に半世紀の戦いであった。
一方日本ではどうか?8時間労働制が法制化されたのは、戦後1947年、GHQ主導で進められた労働者保護政策の下で制定された労働基準法の中でであった。欧米から遅れること30年である。
実はこの歴史の違いにも、日本の労働時間短縮の道のりの険しさが隠されている。今日でもこの「文化」の違いは、悩ましい現実になっている。
英語では、働くことを「Labor」という。「Labor」という単語は「苦労する」という意味の動詞しても使われる。キリスト教において「労働」は「苦役」であり「罰」と認識されるようだ。だから、それは短ければ短いほど良い、ということになる。
反対に日本では働くことは、「はた」を「楽」にするであり、「汗をかくことは美徳」とされ、尊ばれる文化がある。この日本的文化は、戦後、奇跡的といわれる経済成長を遂げた日本経済の原動力となった。
日本の労働者は、働くことを苦役などとは考えない。勤勉であるだけでなく仕事に喜びや生きがいを見出している者が多い。日本では昔から「勤労は美徳」であったし、その労働観は現代でも基本的には変わっていない。

今日、日本の労働運動にとって、労働時間短縮は、賃金引上げと同様の重みを持つ運動テーマとなっている。ワークライフバランスという言葉も当たり前に聞かれるようになってきた。しかし、労働組合にとって、この労働時間短縮を当たり前のように、運動方針にのせるまでには、大変な苦労があった。トヨタ労組でも例外ではなかった。
トヨタ労組は、労働時間短縮(後に述べるように当初は「休日増」の取り組みであった)にあたって、「時間は命だ」といって理屈を超えた信念を振りかざす経営者と戦うと同時に、働くことに喜びを感じている組合員に対し「生きがいを奪うわけではない」と説得をする必要もあったからだ。
トヨタにおいて、労働時間が運動テーマになったのは昭和40年代の半ばで、それは「休日増」という形であった。当時の三役を長く務めた梅村志郎氏は、その交渉の難しさをこんな言葉で語っておられた。
「組合が休日増を要求すると、社長の豊田英二さんは『時間は命だ、組合はその命を削れというのか』」とまでいうし、組合員は組合員で、『休日を増やしてもパチンコしかやることがない。残業して給料をたくさんもらったほうが、かあちゃんも喜ぶわ』などという始末だし、まあ交渉はやりにくかったなあ」と。

当時の労働組合にとって、休日を増やすこと、とりわけ、週休2日にして週5日労働とすることは、組合員の命と健康を守るため、第一優先順位で取り組まなければならない課題であった。
なぜかというと、トヨタが当時採用していた昼夜二交替、かつ一週ごとに昼勤務、夜勤務をする交替制において、週6日勤務だと、土曜日の夜勤務を終えて日曜日の朝方帰宅し、夜勤明けの仮眠を挟んで、月曜日からは朝出勤になるから、日曜日はまともな休日にならなかったからである。
しかし、週5日労働であれば、土曜日を寝て過ごしても日曜日は休日として家族サービスもできることになるからだ。
週6日稼働で日曜日をフルに活動しようとすると、体に無理を強いることになる。そこで、健康のために日曜日を睡眠や休養にあてれば、家族サービスはおろか、社会参加もできない。昼夜2交替勤務で、休日に体を休め、かつ休日を休日として活用できるようにするためには、週5日稼働2日休みにすることがどうしても必要だった。
しかし、休日増を要求すると、会社は、「時間は命だ」というし、肝心の組合員も、休日を増やしてもやることがないから働いて稼ぎたいという。そんな中で、週休2日を運動課題とすることは本当に大変だったと梅村氏が述懐していたように、「時短」は実に難しいテーマであった。しかし、それは働く者の命と健康と幸せを守るため、文字通りトップダウンの形で取り組まねばならない課題であった。
著者プロフィール
1951年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒業後、1975年にトヨタ自動車工業に入社し、のちにトヨタ自動車労働組合専従、自動車総連会長や連合副会長などを歴任する。
中央教育審議会委員や内閣府参与なども務め、56歳で名城大学法科大学院へ入学。
60歳で司法試験に合格し、2013年に愛知県弁護士会へ登録、弁護士へ転身する。
現在はトヨタ自動車労働組合・自動車総連顧問を務め、著書に『弁護士をめざして 56歳からの挑戦』などがある。