マネジメントと動機づけ② マネジメントによる階層的な動機づけ(29)「人材マネジメント方程式」
前回までは、人に成果をあげさせるために必要な成果基準やプロセスなど、「仕事そのもの」についての考えを中心に解説してきました。
今回からは、「働く人」の側に焦点を当ててみたいと思います。
社会が豊かになり、物財が行き届いた成熟社会では、アメとムチによるマネジメントは意味を失いつつあります。
定期昇給で毎年給料を上げ続け、働く人の意欲を長期的に引き出そうという日本独特の手法がそれなりに機能したのは、バブル景気まででした。
バブル崩壊後、年功的な賃金制度や能力等級制度は多くの企業にとって維持しきれないものとなり、企業はその修正を進めてきました。
しかし、賃金を支払う企業の側から見れば、その負担は依然として重くのしかかっており、適切な人件費計画を立てることのできる賃金制度を必要としています。また、受け取る従業員の側から見れば、金銭報酬に対する期待は未だに大きく、公正な賃金制度を求めています。どちらの側から見ても賃金制度の与える影響はなお大きく、軽視できるものではありません。
一方で、企業が従業員に大きな金銭報酬を支払ったとしても、必ずしも従業員のやる気や満足につながらなくなっています。
これ以上、金銭報酬で従業員の期待や要求に応えようとすれば、企業によっては生産性の限界を超えた負担を強いられることになりかねません。
賃金水準の低いパートタイマーや派遣社員への配分こそ是正されるべきですが、正規従業員に対して過度に賃金水準を上げたとしても、期待通りの効果を得られるわけではありません。賃金は必要以上に肥大化させてはならず、十分な節度が求められます。
また、歩合給のように金銭報酬をアメとムチとして使うことにも、思うほどの効果はありません。特に精神的な労働や知識労働、サービス労働の分野では金銭的なアメとムチは害悪でしかありません。
そもそも、肉体的・心理的に行動を強制することを「動機づけ」とは呼べません。強制はせずとも、肉体的・心理的な誘引による操作も同様に、「動機づけ」とは呼べません。
馬を水飲み場までつれてくることはできますが、無理やり馬に水を飲ませることはできないのです。馬は水を飲みたいときに飲む、人も同じです。もし、馬に水を長い間与えていなければ水を飲むでしょうが、それにどれほどの意味があるのでしょうか。
無理やり、あるいは仕方なくとった行動では、顧客に満足をもたらす最高の仕事などできません。「動機づけ」とは、働く人が自身の内面に動機を持ち、自発的に欲することを言うのです。
すでに述べたとおり、金銭的な動機づけには限界があり、使い方を間違えれば害悪にもなります。これと同じことが心理的な操作についても言えます。一見すると強制や命令ではないように見えても、参加者の相互チェックやテストの実施、応じない人への罰金やマイナス評価、仲間から敬遠されるなどの不安があり、それらを用いて人を動かそうとすることは「動機づけ」とは言えません。これらは、操作しようとするほうは気持ちがよいかもしれませんが、すぐに見抜かれます。
お客様に満足をもたらそうという「動機づけ」や、継続的に学習しようという「動機づけ」は、心理的な操作で実現できるものでは絶対にありません。仕事への意欲と地道な努力、仕事を達成したことによる精神的な成長によって実現されるものです。
マネジメントやそれを動かすシステムは上位の存在、個々人は無知で下位の存在というわけではありません。もし、そう思っているのであれば、それはマネジメント側の傲慢です。
マネジメントやシステムは組織全体の成果のために働かなければならず、そのためには従業員とともに働くこと、その強みを引き出すことに最大の価値をおく必要があります。そうでなければ成果はあがりません。
仕事には真摯さが不可欠です。組織にあっては、お互いの尊重、敬意から出発しなければなりません。個々人を信頼し、その考えを知ろうと努めるからこそ、従業員はマネジメントを信頼し協力しようとするのです。
また、物事を決めるときにはフェアでなければなりません。一人ひとりが自分に関係する事柄の意思決定について意見が求められること、相互に事実に基づいて意見交換し議論することを組織運営の基本としなければなりません。
従業員の熱意と意見を経営陣が心底必要としていること、尊重することを示すことで、信頼が生まれ、自発的な協力が生まれるのです。
30回にわたって掲載してきました「人材マネジメント方程式」は今回で終了です。長い間熱心にお読みいただき、ありがとうございました。