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「部門の壁」取り払い100年企業を目指す☆大島椿株式会社様ー1ー

【人と組織の元気を探る「教えて!御社の工夫」】(連載第13回)

 

(2018年7月)

 人と組織が自然とイキイキしてくる独自の取り組みや人事施策について紹介する本連載は、シリーズ第5社目となる大島椿グループについてお伝えしていきます。
 今回は、椿油専門メーカーの大島椿グループの岡田社長に語っていただいた内容をもとに、同社の創業の経緯やこれまでの歴史をお伝えしていきます。価格競争によるブランド存亡の危機を乗り越え、大島椿ファンを守ることにつながった勇気ある決断をぜひご確認ください。(編集部)

●創業の精神は「大島の発展のために」

 1927年(昭和2年)、伊豆大島で創業されてから、90年あまり。社名を冠した椿油100%のヘアオイルがロングセラーとして愛され続けている、椿油専門メーカーの大島椿グループです。
 親から子、子から孫へと3世代にわたって、同社の椿油を愛用するファンも多く、オフィスには毎日のように感謝のハガキが届いています。「近年は若い世代の愛用者も急増中です」と同社の岡田社長。

 「もともと、親から子、子から孫へという、家庭内のタテの口コミがあることは把握していました。そこに加えて、インターネットが普及したことで、若者同士のヨコの口コミも発生するようになったのです」

 創業者は、現社長の祖父にあたる、岡田春一氏。もともと広島の出身ですが、東京の大学に進学し、卒業論文を書くにあたって伊豆大島を訪れました。感動したのは、島の雄大な自然と、椿油で手入れをされた女性の美しい髪。彼は島の発展と開発に生涯を捧げる決意をします。

 椿の島といわれる伊豆大島でも、当時は、軒先で実をつけた椿の種から油を搾り、各家庭で使われるのみ。この椿油を産業化することができれば島おこしになるだろう。裕福とはいえない大島の発展に貢献できるだろう。彼はそう考えたのです。
 昭和2年、カレーライス一皿10銭という時代にあって、同社の椿油は40mlの小瓶に入って30銭もする高級品。より多くの人に椿油の良さを知ってもらおうと、創業者は椿油を壺にいれ、量り売りをして歩いたそうです。

 「大島椿」の名が本格的に全国に広まり始めたのは、戦後の復興期のこと。中古のボンネットバスをキャンピングカーのように改造した「宣伝カー」が大活躍しました。大島の「あんこさん」たちを乗せて全国津々浦々まで、伊豆大島と椿油をPR。即売会を行うと、1日1000本売れることも、珍しくありませんでした。

●スーパーの値下げ競争をうけ「製造販売中止」の判断も

 「大島椿」の品質の高さは、早くから評判でした。その証拠に、発売後間もなく、一流品のみが扱われるデパートでも販売されていました。その秘密を、社長ご自身に語っていただきましょう。

大島椿社長文中用.JPG

 「まず種を厳選しているというのが1つ。100%天然由来の植物オイルですから、素材の品質は油の品質に直結します。それから搾油の方法です。圧搾法といって圧力をかけて搾るのですが、これが昔ながらのやり方で非効率的なんです。薬剤を使って抽出する方がよほど簡単ですが、お客様のお肌に使うものですから、こだわりたい。そして精製です。夾雑物(きょうざつぶつ)をしっかり取り除くことで、髪にも肌にも使い心地のいい、べたつかない、さらりとしたオイルに仕上げています」

 決して安い製品ではありません。それは岡田社長も認めるところ。しかし、高品質の製品を提供し続けるという同社の使命もまた、長い歴史があるのです。
 1970年代、日本の高度経済成長にあわせて大島椿のシャンプーが爆発的な売れ行きを見せたことがあります。当初は病院を中心に販売していましたが、求められるがままスーパーへの納入を始めると、スーパー間で価格競争が発生しました。
 同社を悩ませたのは、スーパーがお互いに値下げを繰り返し、利益が出ない水準まで達すると製品の取り扱いそのものをストップしてしまうこと。大島椿ブランドに傷をつけるのみならず、大島椿のファンに製品が渡らなくなる、という不測の事態です。

 そのとき大島椿がとった行動はなんと「製造販売中止」でした。
 「ブランドを守ることを優先した、苦渋の選択だったと聞いています。しかし、大島椿が目指したのは、あくまで高品質によって信頼していただけるブランド。この選択のおかげで借金も背負いましたが、競合他社が潰れていくなかでもブランドを守ることはできました。会社の歴史上、この選択は大きかったと思います。
 最初はヘアケア製品として認知された椿油ですが、時代にあわせてラインナップを拡大。椿油を配合した低刺激性スキンケア製品『アトピコ』など、ロングセラーも多数存在します。あのとき、安売りに流れなかったおかげで、高品質の製品を、安定的にご提供するブランドを、確立できたのだと思います」

●製造と販売の一体感づくりが、社長としての初仕事に

 「父には、会社を継ぐ必要はない。好きなことをやれと言い聞かされて育ちました」と岡田現社長。その言葉の通り、学校卒業後はいったん自動車関係の会社に勤めています。
 「でも『自分の仕事は本当に人のためになっているのかな?』と疑問を抱いたことが。そのモヤモヤしたタイミングで、先代である父から、大島椿がどんな会社なのか、聞くことができました。創業者と大島との縁や、たくさんのご愛用者の話などを聞いて、まさに『人のために立っている』会社だということが、よくわかりました。それまでは全然知らなかったのですが(笑)。
 『うちに来る気はあるか』『ぜひお願いします』。そのやりとりがきっかけで、大島椿に入社しました」
 10年ほど営業を担当し、2012年に、大島椿グループの販売部門である「大島椿株式会社」と、製造部門である「株式会社大島椿本舗」社長に就任。そのとき44歳でした。

 岡田社長には、それ以前から気になっていることがありました。製造部門と販売部門の連携です。
 「そもそも、大島椿は研究開発も、製造も、販売も、すべてグループ内で行っている。弊社と同規模の化粧品メーカーが自社製造をしているというのは珍しいことで、強い武器になり得る。それなのに、部門間での意思疎通が取りにくく、お互いどこか『他人事』だったように思うのです。売ることも作ることも全てわれわれの仕事です。
 お客様のため、よりよい椿油製品を提供するためという共通の目的のもと、部門間の意識を統一させていくことが、社長としての最初の仕事になりました。

(次回へ続く)


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大島椿ロゴ.JPG

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